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シュルレアリスム絵画

Dadaïsme ダダイズムはフランスで1910年代半ばに始まった芸術思想と芸術運動です。ダダイズムの他にダダとも呼ばれています。シュルレアリスムはダダイズムから発展していった芸術思想でもあるので、やはりダダというのは芸術の動きの中でとても重要な役割を果たした運動といえるでしょう。

ダダは既成されている秩序や常識に対して「否定」「攻撃」「破壊」という思想が大きな特徴です。これは第一次世界大戦に対する抵抗と戦争によってもたらされた虚無が根底あるからでしょう。

ダダの歴史

1910年代の半ばに、ヨーロッパのいくつかの地方やニューヨークなどで同時多発的にそして、お互いそれぞれ影響を受けながらダダの流れは発生しています。この流れに名前を付けたのは1916年にトリスタン・ツァラが「ダダ」という名称を命名しています。トリスタン・ツァラはフランスの詩人ですが、、辞典から適当に見つけた単語だったとも言われています。名前が付けらえたことでこの年代をダダの始まりとすることもあります。ツァラやマルセル・ジャンコなどによってチューリッヒで行われた、チューリッヒ・ダダと言われる運動は、チューリッヒにあるキャバレー・ヴォルテールを活動拠点として、参加者を選ばずに各国からやってきた亡命者が多く集まりました。そしてこのチューリッヒ・ダダでの活動は煽動する運動的要素も十分に含まれていました。

チューリッヒ・ダダ

活動期間は1915年~1920年頃 チューリッヒのキャバラエー・ヴォルテールでドイツ人文学者のフーゴー・バルによってダダ宣言が書かれました。主な参加者は、フーゴ・バル、ハンス(ジャン)・アルプ、リヒャルト・ヒュルゼンベック、マルセル・ヤンコ、トリスタン・ツァラ、ハンス・リヒター、ゾフィー・トイバーなどです。

パリ・ダダ

活動期間は1919年頃~1924年頃です。チューリッヒ・ダダの活動に行き詰まったトリスタン・ツァラが、アンドレ・ブルトン(シュルエレアリスムの帝王)の招きでパリ・ダダに参加しました。他の主な参加者は、ジャン・クロッティ、ポール・エリュアール、バンジャマン・ペレ、フィリップ・スーポー、ルイ・アラゴン、ジョルジュ・リブモン=デセーニュ、ジャック・リゴー、テオドア・フラエンケルなどです。

1922年頃に、トリスタン・ツァラとアンドレ・ブルトンが対立することになり、ブルトン派から発展したのがシュルレアリスムになりました。そしてシュルレアリスムが発展していくことで、ダダの活動は勢いを失うことになりました。

現代アートとはなんだ
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ベルリン・ダダ

活動期間は1917年頃~1922年です。ドイツの芸術の街はミュンヘンですが、ミュンヘンでもダダの動きがありましたが退廃的ということでナチスドイツが弾圧することで禁止されました。ベルリンでの主な参加者は、リヒャルト・ヒュルゼンベック、ゲオルゲ・グロッス、ジョン・ハートフィールド、ラウル・ハウスマン、ヨハネス・バーダー、ハンナ・ヘッヒ、ヴァルター・メーリング、ゲルハルト・プライス、ヴィーラント・ヘルツフェルデなどです。

ニューヨーク・ダダ

1910年代中頃からニューヨークでもダダの動きがありました。ダダ的な思想を持ってはいましたが、集団的・意識的なものではありませんでした。中心メンバーには1913年アーモリーショー(アメリカの画家・彫刻家協会の組織でかなり大きな展覧会)の後にフランスから渡米してそのままアメリカに住むことになった作家が多く見られました。

主な参加者は、マルセル・デュシャン、マン・ルイ、フランシス・ピカビアなどがフランス人ですがそのままアメリカに住むことになった美術家です。アメリカ出身ではモートン・シャンバーグがいます。

マルセル・デュシャンの【レディ・メイド】は特にニューヨーク・ダダを象徴する作品ですが、ニューヨーク・ダダの大きな特徴としては、パリのダダとは違ってニューヨーク・ダダの動きはそのままシュルレアリスムへ向かわなかったということが大きな特徴になっています。

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東京・ダダ

活動期間は1921年~1925年です。1920年(大正9年)8月15日号の「万朝報」で「ダダイズム一面観」が掲載されました。詩人の高橋新吉が1921年(大正10年)11月に翻訳家の辻潤宅を訪問して、ダダについて辻に教えたこともあり辻は自分自身のことを「ダダイスト」と名乗るようになりました。1922年(大正11年)12月に詩人の吉行エイスケが「ダダイズム」を発刊しています。1923年(大正12年)1月には萩原恭次郎、壺井繁治、岡本潤、川崎長太郎たちの詩人や小説家たちが『赤と黒』を創刊しました。翌月の2月に 高橋新吉が詩集「ダダイスト新吉の詩」(中央美術社)は「DADAは一切を断言し否定する」で始まりまる詩集を発表していますがこの詩集の編集はダダイスト辻潤が担当しています。同年7月には村山知義、柳瀬正夢、尾形亀之助たち美術家がMAVOを結成しています。1924年6月(大正13年)には『ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム』が玉村善之助、橋本健吉、野川隆らによって創刊されています。

日本では1922年(大正11年)~1926年(大正15年)が日本でのダダ運動のピークとなっています。ダダイズムはピーク以降も、中原中也、坂口安吾、宮沢賢治などに大きな影響を与えました。

ウルトラマンに登場した三面怪人「ダダ」はこのダダイズムが由来でネーミングされて居ます。そしてダダイズム宣言をしたトリスタン・ツァラと、ツァラをパリに招いてその後シュルレアリスムの帝王となるアンドレ・ブルトンの「ブルトン」からネーミングされた怪獣もウルトラマンに登場しています。

MAVO(マヴォ)

MAVOは日本におけるダダ運動の先駆者集団でもありますが、1923年(大正12年)7月の関東大震災の直前に結成されました。彼たちはマニフェストを出して自分たちを「マヴォイスト」とも呼びました。グループは1925年には亡くなりましたが、絵画よりも他の分野を重視していてそれぞれ美術家や舞踏家ということもあり、彫刻作品、建築、広告・デザイン、演劇、ダンスなど、幅広い活動を行いました。メンバーは柳瀬正夢、村山知義、尾形亀之助、大浦周蔵、門脇晋郎の5人で結成されました。そしてこの時期は、大正期新興美術運動とも呼ばれる前衛的な美術運動の先駆けともいえる動きになりました。

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